●恐怖の成年後見制度~誘拐された娘を母が取り戻す迄の6年間

●第1章・フリースクールはフリー(自由)に非ず①

★なぜこの母娘には大岡出雲守忠光がいなかったのか
※敬称略

◆最初の出会いは“声”だけ

筆者が加藤マナと最初に出会ったのは、成年後見制度をテーマにしたTwitter(現X)スペースである。

娘の加藤優子(仮名)が成年後見制度の“補助人たち”───

「補助人」とは成年後見制度の中の役職である。成年後見人より権限は少ない。他に補佐人という役職がある。また、なぜ「補助人」ではなく「補佐人たち」と複数形になっている理由は、このブログが進んでいけば分かってくる───

によって「誘拐」された。母が娘をとり戻すまで、実に6年もの歳月がかかったのだ。

多くの人にこの母娘の体験を話しても、聞いた人は「そんな馬鹿な」と笑う。だが、これは紛れもない事実である。

家庭裁判所という「ブラックBOX」の中で成年後見制度という「魔法の杖」を振り回せば、誘拐も他人の財産を収奪する行為も全て合法化されてしまうのだ。

◆重度障害より軽度が難しい

加藤マナの娘・優子には、発達障害と精神遅延という二つの障害を持っていた。といっても、重度ではなく軽度の障害である。

軽度の障害と聞くと、大概の人は「大したことないんだ」と(自分も含めて)思うだろうが、軽度障害は、障害があるかどうかすぐには分からない。だから重度障害よりも軽度障害の方が日常生活を送るのが大変なのである。特に、当の子供からすれば「私は障害者ではない❗️」というプライドはやはりあるのだ。そのプライドが、回りの大人たちを困惑させ困らせる行動に繋がってしまう。

◆小学生の時の児相の診断、生かされず

優子の障害が(その時は障害と気付かれなかった)顕になり始めたのは小学校4年生頃。授業を聞けずに教室から出て行く。万引きをする等の問題行動が顕著になりだした。そして、マナ・優子母娘は児童相談所と初めて接触する。

児童相談所は優子を診断し、そこで「発達障害」「精神遅延」という二つの障害を診断結果としてマナに伝えた。特に精神遅延(実年齢より精神的な発達がついていかない)はマナを大いに悩ますこととなる。

前述した通り、一見障害が無いように見える障害であり、回りを振り回す行動の原因が障害ということが分からないことが最大の問題であった。そして、「障害が原因で回りを振り回してしまう」ことが分からない為に、優子と優子が通っていた中学校との関係は最悪のものとなっていった。小学生の時の診断が生かされなかったことは今更ではあるが、本当に悔やまれる。

マナは優子を養護学校に行かせたかったのだが、優子は「養護学校だけは嫌‼️」と頑強に抵抗をした。優子の抵抗が、中学校とのトラブルが原因であることは言うまでもない。

学校でも行政でも、現場の介護者の体験を聞き、その意見をとり入れなければならないと改めて確信した。難しいことではあるが┅。

この母娘に最初に降りかかった(そしてこの先に待っている地獄の入り口になる)厄災を聞いているうちに、ある人物の名が浮かんできた。

徳川幕府第九代将軍・徳川家重。

◆脳性麻痺に苦しめられた征夷大将軍

八代将軍・徳川吉宗の息子である徳川家重には重度の飲酒癖(つまりアル中)があり、まともな会話が出来なかった。家重の言語を理解出来るのは側用人・大岡出雲守忠光のみであった。時代劇で大岡忠光は、会話も満足に出来ない馬鹿将軍を操る闇将軍として絶大な権力を握る存在として悪役の定番である。

しかし近年、徳川家重の遺骨から彼が脳性麻痺であったことが分かった。家重はアルコール依存症から言語障害になったのではなく、脳性麻痺が原因だったのだ。アル中で酒を飲んでいたのではなく、痛みを散らす為、麻酔代わりで酒を飲んでいた。

江戸の町人からも「小便公方」などと蔑ずまれてきた家重は、征夷大将軍という最高権力者であっても当時障害者はいわれなき差別を受けていたという事実を、現代の科学が突きつけてくれた。

因みに徳川幕府歴代幕閣の中で最も有能と思われる田沼意次を取り立てたのは家重である。これほどの人事能力がありながら、障害者という一点だけで家重は不当に貶められてきた。

征夷大将軍という当時の最高権力者でありながら、彼に寄り添えた人物が大岡忠光唯一人というのは情けない限りである。そして家重と大岡忠光との関係を正しく見抜いたのは日本人ではなく外国人であった。

◆母娘には、出雲守がいなかった

オランダ商館長をしていたイサーク・ティチングが、忠光のことを著書『将軍列伝』の中で次のように書いている。

「家重は大岡出雲守という真実の友を持っていた。大岡出雲守はまことに寛大な人物で、他人の過失も咎めなかった」

— イサーク・ティチング『将軍列伝』

この一文に、家重と大岡忠光との関係全てが集約されている。何万という家来よりもたった一人しか脳性麻痺という障害に苦しめられていたことが分からなかった。しかし、たった一人で充分でもあった。

優子の中学校には、そしてマナの近くには、当時「たった一人」がいなかったのだ。母と娘に「出雲守」がいなかった。

───次回に続く───

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