いいね訴訟から裁判所の可視化を考える。
全く、とんでもない判決が出てしまったものである。
Twitterにおける、いいね👍が誹謗中傷であり、相手に対する加害行為であると認定されてしまった。
これを国会議員である立場なら、いいねする事に対しても慎重であるべきで、この判決は妥当だという意見もあるようだが、そうなると現在、国会議員でTwitterを常用してる方々はかなり慎重に扱わなければ、直ぐに訴訟を起こされる可能性がある訳だ。ましてや一般人にクソ野郎と罵った、れいわの議員などは論外だ。
一体、なぜこうした社会通念から外れた判決が出てしまうのだろう?
裁判における裁判官の裁量判断はどういった基準で決まっているのだろう。
日本の裁判所は日本国憲法第82条にて「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」とあり、誰でも傍聴する事が出来る。しかし、裁判所まで足を運んで傍聴する人は限られている。私たちの殆どはマスコミ等で報道された事で内容を知るしかない。
実際の裁判所で何が起こっているのか。裁判官の裁量判断は私たち一般人の社会通念と乖離している事はないのか?そして裁判が実質非開に近い中で決定していく事で良いのか?
裁判中に常に撮影されていたら、裁判官はどう思うだろうか。態度や表情、話す言葉に今よりも慎重になるのではないだろうか。ましてや居眠りをする裁判官は皆無になるだろう(実際いるらしい)
それに私たちは映像を通して、裁判官の顔を覚えるし、その人物像に興味も持つ事になるかもしれない。出来れば今までに、どんな裁判にどんな判決を出したかまで公開されるようになれば、より一層、自身の判決に対して慎重になるのではないだろうか。
何も裁判官を萎縮させようとは思わないが、公開の原則というなら、時代に合わせて可視化を進めるべきだと思う。
今回のいいね訴訟も可視化の元に行われていたら、どうだったであろうか。
今回の判決で、いろんな意味で日本中に大きな波紋とSNSの世界に萎縮をもたらした石井浩裁判長は、自身の顔出しで公開裁判であっても、同じ判決を出したのであろうか。
記事作成 eve