犯罪被害者の方に実際の裁判の様子を聞いてみました。

傷害事件で被害者になられた、ここではAさん(女性)としますが、その方から、自身の訴訟体験について貴重なお話を聞く事が出来ました。
事件についての詳細は、個人の特定に繋がると困りますので省きますが、実際の裁判所はどんな場所で、裁判がどう進行し、被害者としてどんな事を感じたり、考えたのかをお聞きしました。これは一つの例ですが、こうした生の声を聞き、広めていく事が大切だと私達は考えます。

まず、裁判の可視化は必要だと思われますか?

メリット、デメリットを注視し、よりよい手段を考えていきたいと私は考えますので、このようなアクションは必要だと切に思っています。原告、被告の配慮以外にクローズ過多であることでは、良い社会にはならないと感じています。

裁判所に行ってみて疑問に思った事などはありますか?(些細な事でもOKです)

私は被告人と同じ空気を吸うことが出来ず、友人に判決までの三日間、傍聴してもらいました。また、検察から、私の車の(他県)ナンバーからメディアの取材対象になりかねないので、裁判所に近付かないようにと言われました。よって裁判の中身は、友人が全て報告してくれました。被告人証人及び被告人家族と、原告または家族、関係者の接触が容易な事に危惧しました。
証言台に立った事件の重要人物が、喫煙所で談笑していたそうで、原告(被害者)にとっては感情的になりうるケースと思いました。
私の裁判で被告人の家族と被告人弁護士が、その場で筒抜け状態で打ち合わせしていたそうです。内容如何で、被告人の家族の後をつけて、報復を考える人もいるのでは?と友人は思ったそうです。

被害者に対してプライバシーの配慮はなされていたのでしょうか?傍聴席の様子等はどうでしたでしょうか?

犯行に使用した刃物は傍聴席でも見えるモニターに、事件直後に、警察にて撮影された原告(被害者)の全員写真、胸や足、頭の傷の身体写真は傍聴席には見せず、裁判官と裁判員のモニターだけという配慮がありました。
私には証言するか否かの二択だけでしたが、原告(被害者)がビデオリンクやパーテーションで被告や傍聴から見られずに証言台に立つことは可能のようです。
傍聴は被告人家族、証人、記者、修習生、警察、傍聴マニアなる男性数名、混雑はなかったようです。友人曰く、傍聴マニア男性は喫煙室で刑期の推察をしていたそうです。

裁判官の言動や態度はどうでしたでしょうか?どこか惰性でやっているとか、高圧的だったと感じた事はありましたか?

裁判官は過去、お酒で大病(脳梗塞)をされているようで、私の意見陳述朗読はつっかえることが多くあったそうです。
高圧的という感じはなかったそうですが、「お酒はどの位飲んだの?種類は?」と、質問が飲酒内容に拘り、ピントがずれているように友人は感じたそうです。

自身の事件報道に対して、事実ではない事を書かれた事はありますか?

加害者と日頃から面識があったという内容がありました。事件当日初見で、私は加害者と言葉を交わしたことはありません。
ブログなどは推察が多く、あまり詳しくは拾っていませんでした。

加害者の態度はどうでしたか?可視化されたら影響があると思われますか?

私は法廷態度を見てから意見陳述を弁護士と仕上げました。被告人の態度は酷いということは無かったですが、誠意ある答弁だったら内容は大きく変わっていたと思います。
裁判官の意見陳述朗読が終わった後、被告人は「お酒はしばらくやめます。」と言い、その後、慌てて「お酒は一生やめます。」と裁判官の方に向かって言い直したそうです。
私は被告人弁護士の態度と弁護内容が世に知ってほしいと思いました。怒号や大声で原告弁護人の発言を遮るなど、ドラマチックな裁判だったそうで、犯罪弁護に特化している被告人弁護士は自分の発言をするたび、傍聴に来ている若い修習生に向かってドヤ顔で何度も振り返っていたそうです。 

もし、ご自身の裁判の時に可視化されていたら、何か変わったかもと思われる事はありますか?多くの人に啓蒙出来た事はあると思いますか?

可視化することで、より被害者は守られるということを強化出来ると思います。怖くて自分の被害を争いに出来ない人も、頑張って闘おうと思ってくれるかもしれません。
勿論、一切世間に知られたくないという気持ちも理解出来ます。私も事件が報道にのった時は、本当に恐怖でした。
私は裁判は事実に基づいて、真実を明らかにする場と思っていましたが、実際はそうではありませんでした。具体的にいくつかありました。しかし被害者は恐怖と目の前の事をこなしていく必死さで、そういった事実に冷静に気が付くのは判決を終えた随分後です。
あの身を削るような事情聴取が何だったのか、裁判ではこんなにも雑に進められるのを非常に複雑に感じました。
それを世間に知ってほしいと私は思いました。「茶番」という税金の使い方を。
裁判が、犯罪者・被害者のPRの場となる必要性は感じないですが、判事・検察・弁護士・警察を判断、見極める場になって欲しいと強く思っています。

最後にご自身の事件と裁判を振り返って、判決は妥当であったと思われますか?

使用された凶器は私が事情聴取の証言、第三者証人の証言も裏取りされていなく、刃先のDNA検査もされず、裁判では加害者有利の証拠(凶器)が提出されました。判決というより、裁判はその現場で初めて知ること、何が出てくるか判らないということ、悔しさを感じる間もなく終わってしまいました。裁判は真実を明らかにする場と思っていましたので、その事実は今でも憤りを感じています。

大変な経験を語ってくれたAさんには、本当に感謝をこの場でも伝えたいです。
ただ、Aさんの「裁判は事実に基づいて真実を明らかにする場所ではなかった。」という言葉は非常に重いです。当事者の気持ちにはお構いなしに裁判は終ってしまう。こうした事態を是正する手段として、やはり可視化は必要だと改めて思いました。
Aさん以外にも、こうした体験をされた方は多いと思います。個人情報は守りますので、そうした体験をお話ししても良いという方は、是非、ご連絡を下さい。

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