廃棄された「会津若松母親殺害事件。2007年5月15日に福島県会津若松市で発生した少年による母親殺害事件」

【事件の経緯】

2007年5月15日午前7時ごろ、福島県会津若松市の会津若松警察署で当時17歳の同市の県立高校3年の男子生徒が「母親を殺害しました」と言って自首する。

少年Kは切断された女性の頭部を通学用の黒い布製ショルダーバッグに入れて持ってきていた。その際応対した女性警官は生首と目が合い卒倒して医務室に運び込まれたという。署員が少年の自宅アパートに駆けつけたところ、布団の上で母親が頭部を切断されて死んでおり、同署は少年Kを殺人容疑で緊急逮捕する。翌5月16日、殺人と死体損壊の疑いで少年を送検した。

少年Kは5月15日午前1時30分ごろ寝ている母親を包丁で刺し、のこぎりで首を切断した。足を切ろうとしたが切れず、腕も切ろうとしたが切れなかったと本人が言っていたようだ。その後、インターネットカフェで夜を明かす。そこでアメリカ合衆国の人気アーティストであるビースティ・ボーイズのDVDを見ている。その後6時20分ごろ携帯電話でタクシーを予約し、6時50分ごろタクシーに乗って警察署に乗りつけた。タクシーの後部座席にもバッグからたれたと思われる血が付着していた。

自首した際には少年Kは、返り血と見られる血が付いた服を着ていた。遺体の首と頭には包丁で刺された傷が複数あり、手には抵抗した際に出来たと思われる無数の傷があった。アパートの遺体の側には、血まみれの包丁とのこぎりが残されていた。のこぎりは数日前に市内のホームセンターで買ったものだという。

【人物像】

少年Kは中学時代、卓球部に入っていた。しかし1年で辞めてしまい、そこから勉強に専念し何事にも一生懸命な優等生であった。市内でもトップクラスの進学校に合格する。だが、高校に入ると長髪にし、爪も伸ばすようになった。周りにうまく溶け込めず一人でいる事を好み、友達も少なかった。Kは高校2年の9月頃から風邪や頭痛を理由に不登校気味であった。3年になってからは5日間登校しただけで、4月13日を最後に登校していなかった。5月1日には市内の病院に行き、精神的に不安定になっていると診断される。

少年Kの実家は福島県大沼郡金山町で、約60キロ離れた会津若松市の高校に通うためアパートを借りていた。弟と一緒に住んでいたが、弟は別の部屋にいて気づかなかったという。母親は保育士で大沼郡内に勤務していた。14日は午後6時過ぎに仕事を終え、アパートを訪れていた。15日は母親の誕生日だった。

動機について生徒は「誰でもいいから殺そうと考えていた」「戦争やテロが起きないかなと思っていた」と供述している。

(Wikipediaより)

【資料調査結果】

本件事件は県内でも有名な事件で職場全体で認知されており、廃棄準備の中で「鑑定留置等、少年手続としては特殊な手続がとられているので、参考記録として残したらどうか。」などの声があがっていた。また、本件記録は他の少年事件記録とは別のスペースで保管されており、廃棄時における支部の管理職は、前任者から本件記録について「特別な事件なので、この事件だけ特別に保管している。」との引継ぎを受けていた。そのようなこともあり、当該支部の管理職が本庁の管理職に対し本件記録の廃棄について相談したところ、支部の判断に任せる旨の回答を受けた(なお、その回答に関する所長の関与は不明である。)。当該支部の他の管理職において、本件記録を廃棄することについて問題意識を持つ者もいたが、その回答を受け、結局2項特別保存の判断権者である所長に諮られることはないまま、本件記録の廃棄手続が進められた。

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